とうふ油

とうふとアイドルについて

恵まれている

15周年を迎えてハワイ関連の番組をみていて思うのは、やっぱり嵐ってすごく恵まれているなあということ。

デビュー当時3人(大野、櫻井、二宮)が乗り気ではなかったという。
「辞めようと思っていた」というセンセーショナルな話題はデビュー当時を振り返るときによく語られる話で、そのインパクトからやたら取り上げられ放送されたりするけどそれを見て、グループにとっての最大の困難がデビュー当時だったなんてずいぶん平和なはなしだなと毎度おもう。
別々に暮らしてきたメンバーがそれぞれの将来を設計していくなかで突然集められ同じ目標に向かっていくぞオオー!なんてすぐに切り替えられるわけもないし(思春期ならなおさら)彼らは趣味の合うバンドメンバーでもなければ、RPGで世界を救うために加わったクルーでもない。目指すべき夢が示されないまま(納得できる口説かれ方をしないまま)グループを形成するにはそれなりの葛藤や悩みがでてくるのは必然でしょう。
メンバー内でのケンカはない、なんて草食発言もあるけどこのデビュー当時のエピソード以降グループの存続を脅かすような出来事がないって、それって凄まじくないか?解散考えたことないの?脱退考えたことないの?
もちろんメディアに語られていない事件が他にあった可能性もあるけど、15周年で歴史を振り返るタイミングではこれ以上の話はでていない。さらに言うとこれまで本人たちから「自分たちは苦労した」という言い回しの発言を聞いたことがない。グループを運営していくなかで少なくともメンバー間では5人から欠けることも解体することもリアルに迫られた体験はないのでは。

嵐にとって5人で活動を続けていくというのは当然だったかもしれない。でもその後のアイドルグループにとっては当然ではない。メンバーが辞めることや、新加入すること自体珍しくない業種になったわけで。そんなことを踏まえて嵐をみるとこうやって5人そろって15周年を迎えて今後も5人で活動していくと約束できるのは変な意味ではなくタイミングが良かったんだんだと感じる。翔さんはデビュー後のことを「引くに引けなかった」「巻き込まれた」と振り返ることがあるけど、自らの意志で脱退できることがジャニーズ内でも起こりえると分かっていれば、あるいは・・・。いや、考えなくてもいい、あのタイミングで嵐は結成され、2014年現在意欲的に5人で活動しているから、そんなことは考えなくていい。

5人は最近「おれたち本当に恵まれているよね」と言い合っている。
この「恵まれている」という言葉には感謝という意味のほかに、偶然という意味を含んでいるように感じる。
支えてきたスタッフや、ついてきたファンに対しては感謝だろう。現在の環境や実績はある意味で嵐自身が引き寄せたものでもあるので自信と愛情と感謝をもっておもいっきり「恵まれている!!!いえーい!」と宣言してほしい。ほんとお前ら恵まれてるよ、でもお前らだからついてきたんだよーーー。
もう一つ「恵まれている」のは時代だろう。10代のうちにデビューして20代でめくるめくサクセスを起こし、30代で15周年を迎える。90年代最後の年に結成し、00年代をグループ形成に費やし、10年代に安定した人気を世間に知らしめている。ギラギラした90年代が終わり、がっついていない優男がモテはやされ、内輪で仲良くやっている男子集団をかわいいと恐れずに表現できる時代に5人は嵐として好かれていった。この時代の趣向の移り変わりの偶然もまた「恵まれている」とおもう。
前になにかのインタビューで「別の時代に同じように嵐として活動していてもここまで世間に認められることにはなっていなかったとおもう。」という話を読んだことがある。まさしくその通りだと思ったし、自分たち自身の魅力や努力だけではどうにもならない要素が味方していまの嵐があると悟っているように感じた。

「恵まれている」なんてなんだか他人本意の物言いだけど、それもまた嵐らしい。
夢中になって応援しているファンからしたら「メンバーの絆」とか「奇跡」とか「運命」とか妙な物語性をだしてキラキラさせたくなる気持ちも分からなくないけど、そんなキナ臭い信仰よりも、本人たちのいう「恵まれている」という言葉のほうがしっくりくる。全部ひっくるめて恵まれてるグループそれが嵐の15年だったんじゃないかな。

ところでただのファンとして断言するとすれば、わたし自身も恵まれている。チケットはない、とっても悲しい。でもこんなに毎日ハッピーなニュースと言葉にできない癒しを提供されるなんて恵まれているとしか表現できない。活動が無い方がよっぽどつらい。