とうふ油

とうふとアイドルについて

嵐の活動休止の発表から半年。

活動休止が発表されて半年経ちました。
1月の発表当時にはなんかもうすべてが無理になって、気持ちとか感情とかの所在がなくなってしまって、あの頃なにを考えていたかを思い出すことすらできないんだけど、いまになって少しずつ考え始めているというか感じ始めているというか。じわじわ実感せざるをえない体験があったりしてあらためて心が揺れています。
1月の発表の翌日は冬なのによく晴れた日で昼間は14度もあって、嵐の曲を聞きながら空港で飛行機をみてました。真っ青な空のなか動き出す、あるいは止まっている飛行機をみて、あの機体は嵐なのかはたまたわたし自身なのか、なんてセンチメンタルな想像を重ねて、気持ちよくなったりわれに返って気持ち悪くなったりしてました。


やっぱり改めて、嵐を尊敬している。素直な選択をした大野さんにも、大きな決断をした嵐のこともとても尊敬している。
もちろんわたしは国民的スターではないので本人(たち)の想いは分かり得ないんだけど、それでも共感する部分はあって、人生の積み残しってあとあと後悔するよねーわかりみーとおもう。よく言うけど学生時代もっと勉強しておけばよかったとか、あのときもっと行動しておけばよかったとか、そういう経験やっぱりわたしにもあるので。
活動していることもそして休むこともまた積み重ねで、そのどちらも平等に時間は流れていて、時間をなにに費やすか費やしたいかというのを選ぶ(選びたい)というのは人間行為としてとても自然なことに思えるし。
こんな大きな立場にまでなってもなおきちんと自分と向き合い見つめ直す努力をしている大野さんは凄まじいとおもうし、それを許容し肯定し導く嵐のメンバーの包容力や意欲もまたえげつない。
活動休止を支持することまではまだできてないんだけど、少しずつ受け入れてきたんだとおもう。そして受け入れる期間をくれたことに感謝しちゃってる。



あと単純に、休むというとやらないことのように捉えがちだけどこれまでずっと活動し続けた嵐にとっての休止は、「休むことをやる」ということになるので、決して進歩のない話ではないからな。
初めての挑戦だ、さあやってやれよ!!!!!



たとえばあと何年か経って活動再開したとして、「あのとき急に休みたいって言ってさあ」なんて嵐おじさんたちが笑い話にしているかもしれない。そのときだれか若者が「まじっすか」「ありえないっすね」と笑って盛り上げてくれるかもしれない。そんなシーンを迎えたときわたしは笑えないとおもう。いやみんなは笑ってくれ。大野さんのことおもしろおじさんだとあたたかく出迎えてくれ。
今回のことを否定しないしたくない気持ちではあるものの、きっとわたしは笑い話にはできないとおもう。当事者を気取りたいわけではないんだけど、こうやって時間をかけて大好きな嵐を一旦手放すことを受け入れるということは決して楽ではないし、わたしなりに真剣に大野さんの人生を、嵐というグループの行く末を脳の容量の限りを使い果たして考えた、その想いや時間は自分でいうのもなんだけどとてもひたむきだったわけ。
それでいまのところおもうのは、道を少しはずれて自分を謳歌するなんて大変なことは誰もが選択できるわけではない素晴らしく尊いことで、もう選んで進むことを決めちゃったからには、きちんと整えてきてほしいなと、いまの願いはそれです。
なので、休むことを笑い話にすんなよ、ちゃんと休みをまっとうしてくれよ、その休みが必要だったと大野さん自身がちゃんと実感してくれてろよ、とおもうのです。
別になにかスキルや経験や成長を求めているわけではなく、なんていうんだろうなつまり、ちゃんんと休んでください!ってそれだけです。
なんだこの結論は。



しかしやっぱり改めて考えれば考えるほど、これはある種の約束と友情と戦いのはなしなんじゃないかと。
40近いおじさんたちの決断と未来がこんなに少年ジャンプであっていいものかと疑うけど、わたしの愛してる嵐はいつだって前に向かって攻めて、周りを守りぬいてきたひとたちだったしな。
大野さんは戻るという約束をきっと果たしてくれるし、嵐はまた再開するという約束をきっと果たしてくれるし、それぞれが守り戦い続けてください。めちゃくちゃ楽しみにしてるからまじ。