2015年の春がきた
15周年を迎えて16年目は早くも半分すぎましたが、相変わらずの活躍っぷりでやれCMだー、やれ番組だーと毎日楽しませてもらってます。すっごい楽しいんだけど今年もツアーやるのかな?デジコンのブルレイまだかな?しやがれリニューアルどうなるの?などなど話題は尽きず今後に期待を込める意味で現状の感想をだらっと書きたくなりました。
年末年始?あたりに某askに「嵐の好きなところを教えて」という質問をもらいそこで回答したのがこれ
サイコロをふったら極めて「1」が出る確率が高い所です。
30回ふったら27回は「1」が出て、あとの3回くらいはたまに「2」が出ることがあったとしても、「6」が出ることは絶対にない所が好きです。サイコロにからくりがあるのかもしれないし、奇跡的な偶然なのかもしれないし、計算され尽くした力加減と角度で投げているのかもしれないけどなんで「1」が出続けているか気にしていない涼しい顔が上手いところも好きです。
ずいぶん適当に答えてしまったのですが、いまの気持ちとはすこしズレてるなって気がします。確かに2010年~2013年くらいはこういうところに信頼の強さを感じてたんだけど、いまはもう少しなんていうかゆるさと不思議さがじわりと入ってきた印象です。戻ってきたというほうが適切かもしれない。
スイッチを押したら必ず点くような表在的なものっていつまでも楽しめないなって思うのです。スイッチ押しても点かないかもしれないしもしかしたら点滅するかもしれない色がくるくる変わるかもしれない、ひょっとするとド派手なファンファーレが鳴り出すかもしれないみたいな人たちが好きだし、そういう工夫をしようと努力してくれる部分にときめいてます。
じゃあ突拍子もない、なにしでかすか分からない嵐が好きなのか、っていうとそれもまた違くて、導線が着火するとしっかりドカーンって大爆発してくれないと張り合いがないっていうか。年1回の祭りのために用意した一世一代の大玉花火はしっかり夜空に舞って大きくてキレイに打ちあげてやるぜ。観るすべての人を感動させてやるぜ!ってキメる、そういう期待には応えてくれるって信頼できるのも譲れないなとも思うのです。
手元のすぐそこにあるようなスイッチを押せばどうなるのか、花火大会の夜は観客の心を動かすことができるのか。そういう興味が沸いてくる2015年春!(ごめんね、例えるの下手なんだ)
そこでの規模や頻度や重要性の見極める力と配分をハズさないあたりはこの10年間で得たものなのかなって思います。もう全然あぶなっかしくないよ!次はなにをしでかすか、楽しみが積みあがって宇宙まで届きそうだよ!
あともうひとつじんわりと最近確信できるようになったのは、うまくいえないけど嵐のことはいろいろあって時間がたってファンとして第一線で追いかけられなくなったとしても第二線にはいたいなって思ってる。
人の心なんて自分も含めていつか変わってしまって当然とおもっているから、こんなに10年近く追いかけてるくせにどこかで区切りがきてしまう(嫌いになるというよりは他に興味がうつる)んだろうなーって漠然と覚悟してたんだけど、なんかここにきて永遠に続けられそうな気がしてきたんですよね、べつにきっかけとかないけど。
振りかえると2009年頃までは「変わらない変わらないっておもってたけど環境ってこんなに一気にめまぐるしく変わるんだな」って驚いているのにいっぱいいっぱいで、2010年からはむしろ「あわただしい世界でトップランナーでも変わらずにいれるんだな」って感心していて、そしてまた今年から少し何かが見方が変化する予感がしています!(予感だけだよ根拠はないよ!)じゃあね